ラバン、ミチオ イトウの世界

日下四郎先生がラバンの著作の翻訳を出版されたようだ。ラバンやマリー・ヴィグマンに日本の現代舞踊は影響をされているのでダンサーやダンス作家志望の方々も一読してみてはどうだろうか。
ちなみにラバンのBewegengschorという概念を日本語の「群舞」という訳語にしたのは江口隆哉である。

ルドルフ・ラバン―新しい舞踊が生まれるまで

ルドルフ・ラバン―新しい舞踊が生まれるまで

ドイツでラバン=ヴィグマンの系譜は戦後のタンツテアターやフォーサイスのような作家ともつながってくるのであまりなじみがなくても邦訳を機会に読んでるのは良いのではないか。


3月も末の今日は、久々に伊藤道郎作品を見ることが出来るのでうきうきしていた。ここ数年、伊藤道郎の再演を見ることが多い。主催の東京都立忍岡高等学校の校長先生は30年来イトウ作品を見てきたが「アヴェ・マリア」が一番いいとおっしゃっていた。この作品に限らず、何度見ても忘れがたい名作がある。石井漠やイトウの作品を何度も見るような状態が、戦前の飛行館や軍人会館、戦後にかけての日比谷公会堂で展開をされ、そういった中からクラシックといわれるようなレパートリー、例えば石井漠の「山を登る」、許された踊り手しか踊ることができなかったというオリエンタル・ダンスの名作「アニトラの踊り」、「ゴリゴークのケークウォーク」、江口隆哉・宮操子のベルリン公演でも好評を博した「タンゴ」や「スカラ座の鞠使い」、そして今日見た伊藤の名作群が古典として生まれて愛されてきたのだろう。一方、この時代と同時代の歌舞伎座前進座といった劇場では現代の歌舞伎や邦舞に連なっていくような舞台が繰り広げられていた。歌舞伎や新舞踊の担い手たちのエピソードを聞くことが多い。児童舞踊も盛んで童謡運動の流れを経ながら童話研究会や童謡研究会が様々な学校のホールで行われていた。文芸では柄谷行人が「日本近代文学の起源」で「児童の誕生」というが、実は文芸のみではなく、音楽や舞踊の側からもこの一連の系譜を見つめる必要があるのだ。
戦前から戦後直後の現代舞踊の公演は小品が並んでいることが多いのだが、小品が並ぶ舞台内容はそんな時代の公演の姿を彷彿とさせた。この時代の作風が様式化して現代の作品につながってくる部分もある。(しかし現代の現代舞踊は、近代舞踊―現代舞踊と切り分けられるものでもないし、モダンダンス系とも言い切れるものでもない。むしろ様々な世代の表現様式が多様に存在するものである。)
実は私も批評活動を始める前に伊藤作品やメソッドの10ジェスチャーを体験したことがあるのだが、ジャズダンスやヒップホップのようなポップダンスやコンテンポラリーダンスの踊り手たちにとってもこの世界を体験してみるのは良いことではないか。

ミチオ イトウ ダンスグループ レクチャー&ワークショップ 2007

 秋葉原は電脳都市ともいうべき印象がある空間だ。そんな街並みの片隅にあるホールで伊藤道郎の同門会、ミチオイトウ同門会による公演が行われた。その当時のス他事を知るメンバーのみならず、伊藤と千田是也が設立に深く関わった舞台芸術学院と都立忍岡高等学校のダンス部の面々が大きく活躍した。
冒頭を飾る「アンダーテ・カンタービレ」は舞台いっぱいに神秘的なダンサーたちが踊る作品だ。祈るような表情と共に展開する崇高な宗教的な世界が描かれる。中央にいる踊り手はマリアであり、キリスト教の神話世界を描いた作品だ。イトウがハリウッド時代に劇場ハリウッドボールで上演した作品でもある。イトウのテクニックであるテン・ジェスチャーは都立忍岡高等学校ダンス部の面々がデモンストレーションした。一方、舞台芸術学院の生徒たちはイトウの代表作品の1つ「シンフォニック・チュード」を踊った。ショパンの音楽にそって『祈り』、『戦い』、『怖れ』、『喜び』といった1つ1つの感情が描かれる。「プレリュード」ではベテランのイトウの門下生たちが活躍した。祈るように描かれる『No.5』(川上薫)、二人の踊り手が左右に手を大きく広げて踊る『No.6』(勝俣薫、平塚和子)、3人のドリ手たちが旋律と呼応をするように身を宙に走らせ溌剌と踊る『No.10』(金子靖子、添田由紀、川上)と1つ1つミチオ作品をおどった。彼らが得意とする「エチュード No.9」はスピード感あふれるダイナミックな群舞だ。左右のシンメトリー構造やロンドを活かしながら踊る。いずれも「ワルツNo.7」にも通じるが一連の楽曲は音楽の表情を活かしながら詩的に構成された作品たちである。「アンダーテ・カンタービレ」や一連の作品にはあの名作「鷹の井戸」に通じる神秘的なトーンが宿っている。「遥かなるどこにもない場所」を探求したモダニズムの美意識とも通じる東洋でも西洋でもないイリュージョンともいえる世界だ。
 また今回もイトウの様々な年代の作品が次々と踊られた。「アン バトウ」は青い衣裳をきた踊りたちが波間の小船を描写した作品だ。女たちは波のようにラインを形作ったり船の上の人々の姿を描写する。玉を投げるような明るい「ボール」は川上が明るく溌剌と踊り、黒人を描いた「ケークウォーク」は勝俣がユーモラスにきびきびと描く。「タンゴ」(黒崎恵子)はイトウのメソッドにスパニッシュのような決め技が入っている踊りだ。イギリスからアメリカに来た頃のイトウが創った代表的な作品の1つである。山岳地帯の風景を描写した「小さな羊飼い」は米山梨恵が踊った。代表的なオリエンタルダンス「ローテスランド」やイトウの同門会のシンボルにも描かれている「ピチカット」(鵜沼礼子)も彼らならではのレパートリーだ。両作品とも今回は劇場空間が活きて見ごたえがある。後者はプロセニアムがある大劇場ではないライブ感も心地よい。最後はミチオの最初の創作作品である「アヴェ・マリア」が締め括った。人間の一生を若年、成年、老年と3つに踊り描く古典的な作品といえる。
加えてこの公演では舞台芸術学院と忍岡高校ダンス部の面々が「さくら変奏曲」というタイトルでコラボレーション作品を踊った。普段はヒップホップなどを踊る若い彼女たちだがそこにテン・ジェスチャーのムーブメントが加わるとモダンな持ち味が出てくる。近現代に日本人社会が形成した美意識、モダニティが現れてくる。しかしこのような曲を踊れることは重要だ。このメソッドはダルクローズのリトミックなどにも通じる側面もあり、彼女達にとっては様々なジャンルに通じる貴重な体験となったのではないか。
伊藤や千田が関わった21世紀の舞台芸術学院にとっても大きな試みであったともいえるし、同時に都立忍岡高校ではモダンバレエとして伊藤のメソッドを教えているという挑戦は大きな意義があるものである。


(台東一丁目区民館 多目的ホール

舞台芸術学院のOBの代表作家の1人は厚木凡人だ。当時、男性ダンサーが少なかったため、厚木はイトウの稽古場から石井みどり折田克子の舞踊団へと移り、様々な経緯を経て戦後のアヴァンガルドの代表作家へとなっていくのである。