女流名家舞踊大会(2)

普段、現代舞踊を見ている私からすると日本舞踊版・現代舞踊展みたいな印象でなかなか楽しめる内容だった。

東京新聞主催 第82回 女流名家舞踊大会(二日目)

2日目は若手の健闘が目立った日だった。清元「文売り」では初々しい花柳秀衛が優れた演技を見せた。しっかりとした技術と表現力が島原の傾城による恋文売りを描き出した。他の演目でも見てみたい踊り手だ。また大和楽「あやめ」では花柳梅朝が演出を巧みに用いながら五月雨の初夏を描き出す。菖蒲が咲き乱れる川岸で主人公は想いに迷う。動きの1つ1つの表情が豊かな踊り手である。大和楽は大倉財閥の大倉良喜七郎男爵が創始した日本音楽だ。女たちの唄はポリフォニーのように重なり合う。また花柳志摩緒・志摩輔は常磐津「おせん菊之丞」で茶屋の娘役の女と、歌舞伎役者に扮した女の踊り手の恋物語を艶やかに踊った。二人の女が寄り添い想いを語り合う姿は揺れる互いの心を描き出す。この作品は昭和10年吾妻徳穂主催の「花藤会」で上演された作品だ。この三組の若手を強く支持したい。
一方、ベテランでは花柳寿南海長唄「風流船揃」で実に手堅い表現を見せた。演出などを用いて前衛性を感じさせる作品を私はこれまで見ることが多かったのだが、この作品では純粋な作家の踊りのみを堪能することが出来た。小柄な身体を中腰でがっしりとみせるながら、唄の内容を作家は踊り描いていく。ごくシンプルで作家の世界を堪能できるためファンにはたまらない作品だったといえよう。
それ以外では月の兎を幻想的に描いた西崎菊による清元「玉兎」で扇ではなく両手できねつきを持って踊る愛嬌のある表現、満開の藤の花を背後に豪華に花柳花舞美が踊った長唄「藤娘」の愛らしい表情と若い踊り手ならではのエロスがとても印象的だった。また萩井栄秀の長唄「蚊の口説」は吉原の遊女が自らを蚊に喩えてユーモラスな内容と詞に込められた世知辛い生への洞察はこの公演の中では群を抜く内容であるように思う。地唄では源氏物語の登場人物を描いた藤本佳子の「葵の上」が控え目な表現だが女の情念と官能を描いていたように思う。
やや個人的な事柄だが、私はもともと能が好きだという事はこのBlogにも何回か書いたと思う。それがこの数年、日本舞踊を本格的に見ることによって、このジャンルも次第に深く知るようになってきた。花柳紗保美は長唄「花の三番臾」で能の「翁」に影響を受けた作品を踊った。最初は帽子を被った踊り手が囃子のように唄う声と共に能のように踊るのだが、やがて作家は上着を脱いで叙情的に、そして女らしく踊りだす。この転調ともいうべき変化に能と日本舞踊と2つのジャンルに通じて異なるものを見いだせるようで、見ていて大変興味深かった。抽象的で踊り手が内面を刻みだすような能の動きから、情景を綴り花鳥風月を描き出すような日本舞踊の動きへと変化していく。
日本舞踊の創作は、詞もあり、文脈によっては現代舞踊の創作より細やかな面も多々ある。実際に日本舞踊を見るようになると、現代舞踊やコンテンポラリーダンスにおける伝統芸能の引用は時折非常に軽く見えてしまうことが多い。現代舞踊では花鳥風月が描かれることが多いといわれることが多いが、そのバックグラウンド、ルーツを垣間見たようにも感じた。

(国立劇場大劇場)

日本舞踊は重要なジャンルであり、もっと多くの媒体が出てきて、若い書き手も多く見るようになって欲しいように思うジャンルだ。二日間通じて日本の現在の中堅以上の作家の近作をまとめて見ることが出来たのは嬉しかった。