朝からぶっ通し
都会の喧騒を忘れる海辺のクリスマスの余韻もさることながら、早朝におきだして、缶詰で仕事をする。今日が納期の仕事が1つある。気がついたら昼食も口にしないで午後の4時までぶっ通しで仕事をしていた。その後、何も食べないまま、簡単な打ち合わせをして取材に行く。取材の後に別件で都内で打ち合わせ。帰宅は夜遅くになる。
今日が年内の取材の最終日。くるみ割り人形の最終日でもある。後は年内はいくつかビジネスランチをこなすのみ。年末もまだ締め切りがあり、年始も締め切りがいくつか確定している。
優雅なイメージがある舞踊批評家の毎日とは大体こんな感じだ。フリーランスのライターの生活もこんな感じだ。実にパセティックなものである。
舞台というのは奥深いものである。ピナ・バウシュの台本や研究書を書いていた事で知られるライムント・ホーゲは後に踊ることになる。横浜で彼が公演をやったときには、黒沢美香は途中で退室してしまった。批評家たちの多くが彼の舞台を酷評していたが、そんな中で合田成男だけがホーゲのことを誉めていた。私は当時、彼のワークショップに出ていたのだが、どうやらある実演家とその時にご一緒していたらしいということが先日ヒアリングをして明らかになった。実はその昔、まだ批評活動を始める前の私を振付けたある踊り手がいる。その人とであったのはホーゲのWSだった。後に、イマージュオペラの脇川海里はホーゲ作品に客演をしてその後に一気に社会的に認知をされていってしまった。合田ではないが、「決して書物として編纂されることがないただ書き連ねられた舞踊評としての人生」を生きる書き手がいる。一方でホーゲや20世紀舞踊の会のメンバーで後に振付家になった池宮信夫のように舞台に行ってしまう書き手もいる。
一本、原稿を入稿すると、自分の分身を手放してしまうような気になる。とにかく目の前の論文の山と原稿を片っ端から片付けるしかないのだ。
海辺を離れて都会の日々になると、やけにワルツが心地よい。くるみ割りの第二幕のワルツで和んでいる自分がいる。
- 作者: 飯田善國
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1991/05/20
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仮に私が台湾にいたときであれば、こんな甘い旋律が身に入ってくることがないようにも感じたりした。
台湾にはあるベテラン編集者からもらったオペラグラスを持っていった。その人は「私は60年代70年代のまだ若かったフォーサイスやノイマイヤー、キリアンの舞台をこのオペラグラスで見たんだ」といって私にそのオペラグラスを手渡した。今でも形見のように思っていて時折劇場で使うことがある。ちょっと古いので、旅先に持っていったら、そのまま今月はそのオペラグラスを使うことになった。
NBAバレエ団のパンフレットを見ていて、とても懐かしい人が出ていてびっくりした。元スターダンサーズバレエ団でアメリカのカンパニーで踊っていた猪俣陽子がキャストに入っていた。アメリカで踊っていたのでどうしているかなと思っていたら、また日本に戻っていらしたようでちょっと感慨深かった。
清楚で子どものようにも見えるクララ(米津舞)の演技力が映えた会だった。今回は若手ダンサーの活躍も多く、第一幕も第二幕も共にコロンビーヌをユーモラス、そしてさわやかに演じた峰岸千晶、第二幕でスペインを踊った個性豊かな橋本佳奈、中国を表情いっぱいに踊った野村朋子、優雅に芦笛を踊る菅原翠子が印象に残った。その一方でベテランの演技が映えたのがアラブでオリエンタルダンスを披露した猪俣陽子だ。肉体の初々しい表情と細身が切り出す官能的な踊りが実に見事だ。また金平糖の精を演じた田熊弓子の円熟を魅せつつある世界も心地よい。
暖かくもありながら大人の感覚も感じさせる洗練をされるこのグループならではの舞台は健在である。昨年は海外からヤンヤン・タンを呼ぶなど常に挑戦が見えるカンパニーであるため、そのこれからが楽しみになってくる。
(中野ZEROホール 大ホール)