エトセトラ

バレエシャンブルウェスト「ブランカ

媒体にてレビュー

ゆうぽうと簡易保険ホール

*学位論文に決着をつけるために見る舞台の数が減っているわけだが、舞踏とコンテンポラリーを見れていないことに若干危機感を感じ出している。いうまでもなく、現代の環境では批評家は全部の舞台を見ることはできない。今日は久々にテルプシコールに行けるかと思ったのだが、終演時間やその後ちょっとした仕事が入ってしまった関係からいけなくなってしまった。
もう1つ、現代の環境で私が感じることは、ファインアート系の舞台とアンダーグランド系の舞台の両方をカヴァーしているライターが少ないということである。特に若いライターにとってはファインアート系の舞台はなかなか接することが出来ないという状態があるにはある。
この両方を見ていくことは極めて重要である。私の場合は、最近アンダーグラウンドのチェックが出来ない状態で困っている。

鶴見俊輔針生一郎に語ったところによれば、現代の日本の民衆のボケは大野一雄が「ああ」とか「ありがとう」とかしかいえないということに似ているそうである。鶴見は大野の100歳の身体をボケや神経の麻痺として解釈をしているわけであるが、エイジングの問題を避けて通れない大野の身体の側としては、こういう解釈をされていいのかということを思うこともある。どう考えても1つの文化的なステレオタイプだが、こういう解釈もあるのかなといったところなのだが。
メディアではアンチ・エイジングとしてヨガとかピラーティスが盛んに紹介されているが、広義に舞踊、身体文化はエイジングの問題と接点がある。大野も生身の身体のエイジングの問題やはたまたロボット化されたサイボーグの身体とも切り離せなくなってきているようだ。