国立公文書館

このところ、新しい一日の御前未明に日記をUPすることが増えている。

岡本さんのインタビュー記事と重なるので、10日の出来事なのだが11日のところに書いている。

国立公文書館 明治の宰相列伝

日本は近代化の時に図書館、博物館という概念は輸入されたが、公文書館(アーカイヴ)という概念は輸入されなかった。故に、情報や政策といった概念が注目をされるまで公文書館という考え方は図書館博物館情報学の教員の多くでさえ歴史的経緯から避けて通過するような存在だった。皮肉にも公文書が多く残っているのは、近現代史では戦前の帝国主義時代の植民地、台湾や韓国、満州といったエリアだ。中華文明には公文書の概念が存在し、故に古の昔から公文書が残されてきた。それが帝国主義日本の中にも入り、日本本土よりもアジア諸地域に記録が多く残っているという実態を生んだのである。戦後、アジアに残された記録の多くは、逆輸入状態で日本に紹介されるようになってきている。このあたりは地域研究論で中国や東南アジアをサーベイしている研究者たちは明るいだろう。

伊藤博文から、西園寺公望に至るまで当時の公文書を展示した本企画の中では近代史
の議会の成立、憲法の成立から日清、日露戦争の停戦文書まで本物の公文書を展示している。近代アジア、日本研究の研究者であれば誰もが興味深く思うような文書が原本で展示されている。各総理大臣が総理の椅子に座る前に、最初に県知事になったレベルの時代の文書から、次第に要職を歴任し、総理に就任し、そこでこなした代表的な仕事を公文書を通じてわかるようになっている。いわば正史ともいうべき大文字の歴史である。明治という時代はビルディングスロマンも存在した時代であることを感じさせる。
国立公文書館の位置がそもそも竹橋の近代美術館の隣であるということもあり皇居の傍であることからリアリティを強く感じだ。パフォーミングアーツ全般に関しても批評のみならず公文書が研究の道しるべとなることもあり、このような施設の存在は芸術系の研究者にとっても知られるべきだろう。この企画の続編もプランされているようであり楽しみである。

独立行政法人 国立公文書館

首相の文書のみであったが、肉筆の文書というのは特に見ていてあきないものである。私が維新の元勲の中で最も興味深く思う1人は初代外務大臣副島種臣である。外務卿として外交に社交に活躍し、その漢文に対する教養は大国であった清と対等な関係で交渉できる関係を日本と中国と間に構築した。彼の外交手腕によって日本は西欧諸国家でさえ対等な関係の交渉を許されなかった時代に初めて対等な関係を許されたのだ。盟友西郷隆盛西南戦争で死するが、副島は生き延び書の世界で一流の仕事をなした。彼の業績はいまだに整理されていない。実際の直筆の文書も見てみたいものである。

また、医学で身を立て、東京府知事を務め、台湾総督府でも活躍した。後に満州に身を転じ南満州鉄道の設立に尽力した後藤新平の存在もアーカイヴを語る上で尽きないものである。アーカイヴ関係では良く知られている事実であるが、後藤が設立した南満州鉄道の調査部こそが、戦前から今に至るまでアジア最大のシンクタンクであり、南満州鉄道のコレクションこそがアジア最大のアーカイヴだったのだ。そこで活躍をしていた学者たちや図書館司書たちは戦後の日本のアカデミズムの中にも多く登場する。このアーカイヴの全容の解明は韓国と中国で始まっている。ナショナリズムの高揚と共に武人として戦前の軍人が取り上げられることが多いが、文人の業績も解明されるべきである。

海辺の生活、心象地理

私が海に憧れるのは、オルタナティブライフの原点となったコロニー、モンテ・ヴェリタのように自然の中で暮らすというニュアンスが近いだろう。彼らは山の中で新しい生活や思想を育んだ。その姿はマーティン・グリーンの「真理の山」に詳しい。イサドラ・ダンカンやマリー・ヴィグマン、ラバンの姿も登場する。
いわゆる療法や身体文化まで含めて海辺の生活に憧れるところがある。

海辺と摩天楼の中の空中庭園、そして植物園とくれば、ニューヨークを想うこともある。いずれも私の生活に書く事が出来ないものである。ある研究者は自宅に薔薇園をつくり、薔薇の花を栽培しているという。春には花々が咲き誇るという。花道の中川幸夫は様々な植物と共に暮らしているという。ディドロダランベールの研究で知られる啓蒙主義のある研究者は日常がうるさくなると貴重書室に身を運び、荒俣宏のコレクションだった近代ヨーロッパの博物学の図版を見ることで心を落ち着かせるという。地理学が新世界を記録していた時代のロマンティシズムに身を浸すのだろうか。