三田にて

昨日は会と会の合間に三田に本当に久々に立ち寄った。三田とは思い出の仲間たちとの日々を思い返す場所である。校舎の陰から今は会えなくなった友人たちと出会えそうな気になるそんな空間だ。

学生時代も日々がすぎ、思えば20代もなかばに私は舞踊批評家になった。そして私の目の前にもう1人の舞踊批評家が現れた。今をさかのぼること遥か半世紀近く前に、全く同じ媒体から学生時代にデビューをした舞踊批評家がいたのだ。彼に私は全く同じ人生を歩いているといわれることがある。この事実には今でも驚かされる。この学校の図書館で光吉夏弥と彼が出会うのだ。そして私もその水脈に加わっていくのである

大銀杏の元で紅茶を飲む。飯田善國のモビール、「知恵の花弁」は風の流れに沿ってゆっくりと動く。知識の花粉を模したと思われる作品はノヴァーリスの「花粉」を思い起こさせる。この「花粉」というテクストは笠井叡の「花粉革命」にヒントを与えたテクストなのだが、私も最も好きな書籍の1つだ。飯田も先日他界した。生前の氏と会い歓談をすることが出来たのは私にとっては幸運だった。「三田詩人」、そして後の「どらむかん」、「Provoke」(写真誌)で活躍をすることになる吉増剛造岡田隆彦が学生だった時代には授業中に海の波音が聞こえたという。今ではすっかり開発をされてしまった。
図書館の書架で佐藤朔の本を見つける。佐藤は「西脇順三郎は<<Ambarivalia>>がパフォーマンスだとすると、自分は舞踏家で、百田宗治が勧進帳だ」(佐藤朔「馥郁タル火夫の始末」)と書いている。佐藤は瀧口周造ら学生時代の仲間達と共に「馥郁タル火夫ヨ」を世に送り出した。このエコールでは佐藤と瀧口が世に知られることになったが近代詩の中でも大きな役割を担った面々を輩出した。佐藤が慶応義塾の塾長になった時、瀧口はあるジャン・コクトーの研究者に「『塾長なんて辞めちまえ』と佐藤に伝えろ」といったという。それをその研究者は律儀に佐藤本人に伝えた。ある日の三田の一頁である。
毎朝、カフェテリアで飲むカフェラテのほろ苦い味わいと軽さが秋の足音を感じさせる。街中の木々はこれから赤に黄色に彩られていくのだろう。午後のカプチーノの味わいが優雅さを運んでくれた夏の終わりは思い出の日々になっていく。