植物になったように・・・

そして私はあたかも植物になったように朝から晩まで一日中眠り続ける。少々起きたが仕事はごくさわりだけ。目蓋の裏のヒアシンスブルーの揺れはいつになくモノトーンだ。つい先日、ある編集者からご馳走になった金平糖の歯ざわりと本当に森茉莉のテクストのようなその人の昭和初期の回想談が心に浮かぶ。
人類は動物なのだが、時折、植物に喩えられることがある。何度も舞踊に翻案されているテクストとして岡田隆彦の遺稿「植物の睡眠」をあげることが出来る。朝から晩まで水を吸い上げゆっくりと身体を眠りにつかせる。窓の外を吹きあれる雨風の音が走り去っていく。
舞台の上で踊り手の肉体が植物の様に見えやけに官能的に見えるときもある。大野一雄系の舞踏手には静謐な動きを見せる踊り手が多い。精神性の高い踊り手としては島田美穂( http://www.kk-video.co.jp/concours/saitama2002/modern_adult.html )、平多理恵子、そして蛯子奈緒美(http://www.kk-video.co.jp/concours/saitama2005kekka/modern_adult.html)にもこのような味わいを感じるときがある。(引用画像ではなく他の作品だが)
動物的なムーブメント、都会文化ともいうべきレビューの官能と対象にあるような静寂の美。ある研究者がマリー・タリオーニの瞳の色を「菫色」と書いていた事が脳裏をよぎる。その時代に製作されたオリジナルの
リソグラフを私も貴重書室で手に取ったことがあるが、パステルカラーの彩りの向こうにその時代の視覚文化とページェント、そしてファンを魅せてやまないイメージの力を感じた。


私は空中庭園を愛してやまない。建築史の研究者である知人からはサン=シモンのテクストには空中庭園や近代都市の中のガラス張りのアクアリウムが登場するということを聞いたことがある。このところ都内各所の空中庭園に足を運ぶことは多い。新国立劇場空中庭園はアルヒーフ・アルバイト(アーカイブを使った作業)の合間に足を運ぶ空間だ。現代都市に散在する空中庭園たちはちょっとした秘密の隠れ家、愛すべき空間というべき<私の休憩所>である。植物園にも足を運ぶことがある。ロンドンのような大都会には庭園があり、植物園も数少なくない。ガラス張りのサナトリウムの向こうには南洋植物もある。やはり愛すべき職業は植物園の園丁なのだろうか。

マリリスのため息
露草の眠り
亜麻色の髪をたずさえながら
園丁は進む




――私も多少気になっていたのだが、ゆうぽうとで行われた上野水香の発表会は台風の中も満席だったらしい。翌日、青山一丁目の路上で先輩の舞踊批評家に出会いその様子を聞く。