記憶と記憶の網, Memories

 前に台北で研究発表をした時以来、原稿を書く間に紅茶を痛飲することをやめて、中国茶を飲むようになった。ちなみに煙草は吸えなくなってしまった。一頃は葉巻を愛好していた時期もあるのだがきっぱりとやめてしまった。医食同源というが、中国茶を飲みながら仕事をすると実に心地よい。おかげでいろいろな面でチャイナタウンとも近くなった。丁度、映画「珈琲時光」が日本でも公開された頃に台北にいったのだが、仕事が終わった後に、ある台湾演劇の研究者が市内を案内をしてくれることになりドライブにいった。助手席にのっているとポストコロニアルともうべき都市のイルミネーションと南国の風景が頭に入ってきてとても心地よかった。実はその研究者はその頃ちょっと大変な時期で私も助けてあげていたのだが、また近いうちに再会できそうである。
 台湾に行って以来、東京で生活をしていても、どこか文化的類似性を感じるのも事実で、おかしな言い方かもしれないが日本文化を過信しなくなった。
 この夏は私の仕事関連もかねて来日してくれた台湾の舞踊研究者に東京を案内した。この仕事はそろそろリリースするだろう。


 昨晩は原稿を書く間にコーディング(プログラミング)を始めたら、デバッグで熱中してしまい、気がついたら1時間ぐらいバグをとっていた。私はテッド・ネルソンのグループとそろえる形でFullのBioが出ている正式なSignatureには「Systems Humanist, Generalist」 http://web.sfc.keio.ac.jp/~yukihiko/XaS/XaQjp.html と肩書きを打っている。その割には、いわゆるスーパープログラマーやシステム管理者ほどはアセンブラやログを読まない方だ。むしろカーネルの上でネットワークの流れをみたり、モデレーションをしている方が好きなようだ。コーディングは熱中であり、集中であり、プログラマーによっては快楽体験とされるのであるが、原稿執筆と異なるこの快楽は癖になる。この仕事もゆくゆくはリリースする予定だ。
Systems Humanistにとっては:
コーディングは冷静な集中
ライティングは脳の中に蓄積されたデータのレファレンスやコレスポンデンスを伴う集中
ともいうべき悦楽なのかもしれない。



 舞踊を見るという事は、再現できない芸術を見る以上、人々のオーラルな記憶やその結節点に身をおくということである。ソクーロフの映画に主人公が俳優の写真を見て実際の舞台を回想するというシーンがある。その頃の舞台はこのような読書空間=観客体験と共にあったのかもしれない。実際に舞台を見ていると、記憶の引き込みあいやフラッシュバックのような現象もあるわけで、読書よりは<より身体的>な現象である。そして本当にいい舞台を見るとその日はよく眠れて、翌朝、同じ作品をまた見たくなるのだ。批評活動をはじめた当初はリピーター公演ということを理解できなかった。しかし、本当にいい舞台を見た時は次の日は無償また見たくなるのだ。この体験は年間にあまりない。例えば昨年の都フェスでみた内田香の「クロイツェル・ソナタ」は30年代的な作風だが次の日にまた見たいと思った作品の1つだ。こういう体験をしてしまうと舞踊を見ることは意識と無意識の流れの間に存在するもののように思えるのだ。それを言語化する作業はこれまで見てきた舞台や日常生活をカットアップしたりリミックスするような側面もあるだろう。スクラッチブックに映像やテクストをカットアップした詩人ウィリアム・バロウズは「Book of Dreams」という本を記している。この本でバロウズは自身の夢=無意識を書き出した夢日記カットアップして小説にしている。私の原稿の中にも多くの無意識の断片が含まれているはずである。過去の舞台を思い出して現在と重ねていくようなくだりにはイェイツの著作ではないが「記憶術」との関連を感じる時もある。
 舞台見るということを記憶と重ねてみると、この情報化の時代に1つの舞台を何故ライブで見なければいけないのかということも思い浮かんでくる。「なぜこの舞台をライブで見ているのか」という命題はもしかしたら極言かもしれないが「いつもテレビで見ている富士山の山頂にいってきました」的な、<実体験したという価値>と重なるかもしれない。録画された記録された映像でなく実際にその場を<実体験>していたというのは、その時代に生きていて実際に土方巽の舞台やアルヘンチーナや伊藤道朗の舞台を見ていたということとも通じるだろう。つまりそれぞれの人間が生きてきた記憶=メモリーが存在し、それがそれぞれに交差をしており、そこにメタデータではないが、それぞれの価値と指標が存在しているようなイメージを持つのである。

この下りについてはまた書こう。