原稿、原稿、そして原稿

書いているのは舞踊評だけではなくて、論文、翻訳、報告書など多岐に渡るのだが、日々せわしない。年内はこれから12月まで走りっぱなしである。12月に「くるみ割り人形」をいくつか見て、そしてクリスマス明けの28日ぐらいに年内の公演が大体終わる。しばしの休息、そして年始は大体1月4日から「白鳥の湖」というスケジュールである。
白鳥の湖」といえば、先日、戦後初めての「白鳥の湖」に関わった小牧正英が他界した。次第に時代は新しい季節をむかえていく。ただかすかな音を奏で続けるのは砂時計の砂のように流れ落ちていく時の響きなのだ。

私の批評は、英米系のレビューというよりはフランス系のクリティークである。レビューといえばボードビルやミュージカルが良かったとか、短評でまとめるというスタイルである。戦後の名レビュアーの1人は山野博大である。クリティークはもう年季が過ぎたこんなワインがおいしかったとかマニアなチーズがこんなに臭みがあったとかそういう薀蓄を語るというものである。市川雅のスタイルは一般的に弟子筋から印象批評と言われるが、印象批評のみではない。彼の文体とスタンスは、レビューとクリティークの間にあると私は考えている。私はどちらでも書く。媒体でレビューが必要であればレビューで攻めるし、クリティークでいくなればクリティークでまとめてしまう。自分はこのスタイルときめるのではなく、相手の求めるものによって仕立てる方法を変えていくのである。故に私のフィギュールのパターンは多いといえる。実際に、「Cut-In」や「激しい季節」に書いたときは結構スタンスを変えている。やはりジョン・マーティンの後にNYTimesの舞踊批評家になったイレーヌ・リヴィエラのようなスタイルで洗練と厚味を兼ね持つ濃いフランス流の文体でいきたいと思うときもあるのだが、流行を切り取るようなギラリとひかるレビューの文体にも後ろ髪を引かれるところがある。ゴーチエの「流行通信」時代の評(ダンスのみではなくほかのものも)や舞踊評、そしてヴァレリーの舞踊評、そしてアンドレ・レヴィンソンのスタイルにもやや憧れる。彼らの仕事の一部を近代に翻訳したり紹介をしていたのは蘆原英了だ。現代でもバレエの書き手を見ていると、ある一定の年代まで蘆原の影響のような空気を感じることがある。中堅層のバレエ評になると、やはり現代文化の影響の下におかれるようになる。文体の薫りが変わり新しいのだがパセティックでどこか味気ないようにも感じられることがある。
サント=ブーウの「月曜閑談」ではないがサロン評のような対談形式もいつかやってみたいと思う。これは桜井圭介がなかなか面白くまとめている。
とわいえ、クリティーク型の書き手としての私は、仕上げるのに多少時間がかかるのである。
若松美黄は「危機の身体」と題して、病気の時に踊ったときのピンチ状況が返っていい本番でのダンスを生んだと話したときがある。一日に舞踊評のみならず、5本ぐらい生産ラインにのったような仕事をするときも多々あると、なかなかきついときもときにはある。
熱が出ようと、倒れようと、論考だけはまとめていくことになるのだ。

私は原稿を脱稿するまでひたすら机に座り続けるタイプだ。とにかく漫画を読もうと文庫を読もうと机につきつづけるのである。後に福田和也が書いているものを見て、一緒だったことに驚かされた。福田は「何十巻もあるような漫画を読んでしまったことがある」と書いている。私も似たようなもので、いざというときの本がいくつかある。村上春樹の「遠い太鼓」はそんな中の1つだ。とにかく軽くぱらぱらと読める。だいたい毎夏、私は仲間と葉山の森戸海岸でオフをとる。私は業界の人間とオフですごすことは東京ではあまりしない。京都系の人たちは彼らが一緒にする事が多いので遊びも仕事も一緒になる場合もある。今はアーティストやプログラマーになってしまった友人たちとかつてこの海岸からヨットを出して遊んでいた時期がある。古い友人たちと車に乗って森戸海岸にあるデニーズで明け方まで何度もすごしたような日々がかつてあった。森戸海岸のデニーズは夏も冬も明るく深夜は江ノ島を遠望しながら団欒できる。あまりファミレスは使わないのだが、海辺特有の海辺の熱い空気が身をそっとつつみこむ実に気軽な空間だ。仲間とビーチにいく時に携えている中にこの本の文庫本が入っている。実になんでもない本なのだが。

最近は、エドワード・ギボンの「ローマ帝国衰亡史」をなかなかのらないときに机の上で読んでいる。私は音楽はめっきしポップスだ。絵画も古典ではない。しかしテクストだけは何故か古典なのである。
古典を読むと心が休まる。なので机に座っているときに古典を読むことも少なくない。数週間前にギボンの「ギボン自伝」を手にした。この歴史家は「文明」概念が日本に入ってくるときに絡んでいる歴史家であることから興味深く思い読もうとした。しかし日常生活の様々な出来事からテクストに自分のリズムをあわせることができないのである。そこで、自伝より本体をと思い、原著と訳書を手にした。すっきりとおちつく時間が生活の中に現れた。

舞踊論をいくつもまとめなくてはならない秋の夕暮れである。