霞ヶ関

劇場めぐり

年末、出版されるある書籍に収録されたテクストの為に、霞ヶ関で関係者と打ち合わせをする。その前に時間があったので、まだ行った事がない劇場を見に行く。霞ヶ関とくればイイノホールだ。千代田線の出口の1つからビルの中に入っていって上にいくとある。邦舞の関連で使われるホールである。前から名前を知っていたが実際に行ったことはなかった。閉館中だが実際に外を見ることができた。邦舞の劇場は洋舞とはまた異なった経済圏のようで実際に意識しないとチャンネルが違うように情報が入ってこない。ジャンルが異なると資料で知っていても行った事がない場所がいっぱいあるのが事実だ。
映画館や劇場のような都市の施設は、この情報化の現在では存在意義を問われているのは事実だ。だが、文献を読む限り、実際に行ってみないとわからない情報が多々ある。それを見に行くのである。例えば戦前、共立講堂は現在の場所ではなく神田にあった。そうすると当時の住所を特定して見に行く必要がある時も出てくるのである。
霞ヶ関イイノホールがあるビルはロケーションがよく、1Fの交差点からは国会議事堂が見える。そして隣には舞踊とは接点が強い東京新聞の本社ビルがある。
反対側には日比谷公園日比谷公園の中には日比谷公会堂がある。日比谷公園で踊っているといえばフラメンコの小笠原庸子だ。また昨年辺りから日比谷公園の盆踊り大会というのが半世紀弱を経てカムバックしたようだ。近代都市東京の芸能文化の復活といったところである。
石井みどり折田克子、全日本芸術舞踊連盟時代(現・現代舞踊協会)の合同公演、そして戦後直後の東京新聞のコンクールなどある時期まで日比谷公会堂で踊ったという記載を舞踊史のデータの中で見ることは多いのだが、戦前、東京府時代発(現在の知事が後藤新平とかその時代である)のホール型施設であるこのホールで公演を見たことは私はない。そこで入り口まで足を運んでみた。実質上のこけら落としは児童の舞踊劇だが、なんと昭和4年で振付には高田雅夫や原せい子(高田せい子)の名前があった。

違和感

コンテンポラリーダンスと自分の間に感じる距離感、違和感が次第に言語化できるようになってきた。そもそも多くの作品を<同時代的>など感じないのである。むしろ40代から50代ぐらいの批評家やプロデューサが指示をしている対象として既存の価値として目の前にあるように感じてきた。しかし、最近になって、80年代90年代から見てきた人々の人の流れや価値観の推移もさらに情報として解ってきたので、距離を置きながら、あくまでも対象、現象、事象として読み解くようになってきた。(同意や納得ではない。)<同時代的>に感じることがなくても、30年代、60年代風かもしれいないが、これまで積み重ねられてきた舞踊表現の背後にある思考が気になるのである。また戦後の舞踊表現の系譜についてももう少し細かく論じることが出来ても良いように感じる。

もちろんこの問題にはもう1つ背景があるとすれば、コンテンポラリーダンスがあまりに伝統性と乖離したところで論じられ、<新しい>という事で論じられてきているということである。この問題に関しては「ダンス・コロキウム」の評でとりあえず向かい合ってみた。だがもう少し表現や表現者の意識の問題まで掘り下げて論じてみたくも思っている。

私は2000年ぐらいから舞踊コンクールを取材してきたがモダン=コンテンポラリーの作家たち中でも極めて有能な才能でありながら、多くの批評家に見てもらえない作家と出会うことが少なくなかった。90年代的な批評では主にポストモダンダンスを取り上げながら「広くアートとしての表現としてダンスを捉える」、「既存の考え方を脱構築するといった」ことを重視するが、コンクールなどで私がヒアリングをしていて感じるのは、実際に舞踊コンクールに出ている実演家たちは、もうそれぐらいのことは何度も言われて解っているということだ。むしろ「そんな解りきったことを何をいまさら」という空気や表情すら感じるのである。そして彼らの若者たちの表現はモダンダンス的だと決め付けられているが、その中にはポストモダンダンスの技法の作品も存在するし、コンテンポラリーダンスといいうる作品も存在することも指摘できる。ことさらに同じ論理を反復し強調をしてもその内容が機能しなくなってくるということを感じる。
モダン=コンテンポラリーの作家としては80年代の黒沢美香、武元賀寿子、米井澄江、90年代の平山素子、内田香、二見一幸、能美健志といった作家たちをシーンは生み出してきた。彼らは現代と伝統の狭間の中でそれぞれ活動してきた。そんな作家たちの中には、長く時間が経過をしてくることで「時代を1つ踏み越えたようだ」(黒沢美香)と語ってみたり、名づけ得ない今のダンスを語る上で「良くこれは何ダンスといわれますが」(平山素子:
ただし平山の場合はそんなに強い戦略性は感じない。)と語ってみたり、とそれぞれの時代とモードと共に戦略を批評家の言説を時にとりこみ、時にかわし、巧みに切り替えてくる作家も少なくない。この構造はこの先も反復されていくだろう。オーディエンスの側にはそんな作家たちの戦略を見抜いたり、新しい思考を本質的に嗅ぎ分ける事が求められているのではないか。それぞれの身体表現の中にある良質さや品の良さもその論拠が重要になるだろう。世代が変わってくると次第に表現の位相も異なってくる。良質さを追求するのであれば、表現を定着化することなくにその現代的位相も問われるだろう。

(パフォーマンスやポストモダンダンスから来た系譜の作家たちを踏まえながらより鋭角に論じることも私には求められるであろう。)

身体表現を語る上で重視される「同時代性」や「現代性」といった概念は年代を追うごとに切り替わっていってしまい極めて曖昧な側面も持っているのも事実だ。バブル絶頂から失われた10年への流れとして展開をしたこの国の90年代とは何だったのかということを考え、さらに批判的に21世紀の新しいダンスを考えるターニングポイントが来ている様に感じるのだ。
現代の世界は情報化とグローバリゼーションの真っ只中で90年代から社会構造もさらに大きく変化を遂げようとしている。まったく新しい世界と時代に向けた新しい次世代の表現とその考え方を考える時期に来ているように感じている。