ソクーロフ「太陽」

太陽 ロシア=イタリア=フランス=スイス合作映画

アレクサンドル・ソクーロフ 監督
http://taiyo-movie.com/

―近現代日本を考える上で興味深い映画作品

イッセー尾形昭和天皇ヒロヒトに挑んだ映画。当初は日本で公開することは不可能だといわれた問題作。終戦直前の防空壕の中の昭和天皇の姿から始まる。天皇は御前会議では明治天皇の和歌を引用しながら戦争を終結させる必要性を主張する。そして天皇は海洋生物学の研究と孤独に身を浸していく。祖父、明治天皇歌人でもあり明治という時代を生きた。明治維新=近代日本の樹立とは対象的に、昭和天皇の時代では戦況が悪化し、時代が変わっていく。ダーウィニズムに基づく科学的イメージや天皇の苦悩が錯綜し、東京の上空を魚達が飛び交い、魚達が降り注ぐという異様な悪夢を形成していく。戦後はマッカーサーと向かい合い、戸惑いながらも人間宣言を踏み出していく。
天皇のイメージは日本人はあまり日常生活で見ることができない。欧米のロイヤル
ファイミリーと異なるのは、バレエにも通じるが、欧米の視覚的なスペクタクルによる政治と異なる、「対象が見えない」ということである。神道にも通じるものがあるが、この「対象が見えないこと」が作り出す、イメージや美化、神話が日本社会に現れてくる皇室の表象とつながってくる。日本人が描くとできないような天皇の描写、例えば、言葉遣いや身振りにロシア人の監督が挑んだ。ソクーロフが浮き彫りにする天皇のイメージは、現在の皇族にも通じるが、いわゆる現代日本社会の日本の名家の文化コードと近いもので、決して縁遠いものではない。マッカーサーとの晩餐のシーンで、ふと思い出したように、鹿鳴館のようなワルツステップが出てくる辺りも。
ただ歴史的考証については若干疑問だったことも事実で、天皇がそもそも人間宣言をこれほど早く認識できたのかということは疑問に感じた。例えば酒井直樹のような日本研究の研究者は、「戦前の白馬に乗り、帝国陸海軍の統合というイメージの中にあった天皇が、戦後、痴呆を演出するようになる」と指摘する。ソクーロフが描き出した天皇像は人間であることに戸惑いを持ちながらも、やはり人間だとということをかみ締める天皇像であり、その下りは検証する意義があるように思う。近現代の日本を考える上で重要な映画がまた1つ現れた。


(シネパトス銀座)