KAyM

4月上旬のデータをアップデートした。後は3月後半がある・・・

気がついたら月末にWendersの写真展があるようだ。
http://wenders.jp/


KAyM/カイム 囚われた野性〜檻の中の狐達〜
演出:上田遙
KAYMダンサー:桑原文生 三枝宏次 佐藤洋介
辻本智彦 三木雄馬 山田茂樹

上田遙がおもむろに現れるとテレビをつけてさっていく。テレビの中の男達が次第にさわぎだす。と、隣の部屋から出演者達が床や壁を大きく叩き出す。その反響音が舞台に響いてくる。舞台に1人1人踊り手達が登場する。内容は異なったジャンルの踊り手達の世界ということだが、中でも辻本智彦や桑原文生のキャラクターを活かした演技は印象的だ。小スペースはアイデアを反映しやすい空間だが、中ホールや大劇場でも良い仕事が出来るアーティスト達であるため、何か今一歩工夫が欲しいのも事実だ。濃密に官能的な男性のエロスが閉所に立ち込めるかと思っていたが屈折した世界を描きながらも意外にさわやかでもある。
比較的良くあるタイプの作品かと思ったが、意外にそうでない側面も見えてくる。山田茂樹が現れるとアメリカ国家を口ずさみながら即興のように踊り始める。911以後の現代を感じさせるような感覚だ。山田は子供の頃テレビで見ていたであろう「日本昔話」のエンディングテーマなど少年期のイメージを歌いながら踊ったりする。皆で野球のパロディをするとテレビからはドカベンの映像が流れどこか懐かしい感覚を与える演出も印象的だ。三木雄馬や三枝宏次はあどけなくも見える。押し込められ閉じ込められた踊り手達は光の中へと導かれ、詩的な情景が描かれる。こういったシーンは上田が得意とする世界だろう。やがて踊り手達はブレイクダンスなどポップダンスを活かしながら自由に踊り続ける。踊り手達の姿は詩人のように自由でありワイルドにエネルギッシュに肉体と精神を躍動させた。中でもブレイクダンスで活躍をしたことがある山田と佐藤洋介が見事だった。
 市川雅は「肉体論への降下こそ」(「行為と肉体」に収録)で戦後の現代舞踊がエロスや闇をムーブメントに昇華してしまっている事に対して批判をしている。しかし踊れる踊り手がエロスや闇をムーブメントに昇華しているかというと必ずしもそうとはいえない。身体とは光と闇の双方を内包するものだ。閉じ込められ日常に退屈しきった男達が自由を求めて光の下に集うとそこには光の身体が現れてくる。ドイツの舞踊学者ゲルハルト・ツァハリアスは「バレエ」においてキリスト教社会の中で舞踊が抑圧されていることを指摘したが、現代社会の中で肉体は光と闇の双方から宙づりにされているのでありその諸相が表現として現れてくるのだ。上田による本作は明るいものであり創作作品で多く見られるスタンダードともいうことが出来る。しかし小劇場で上演される作品の中では、自由と禁忌の双方から見た肉体像を描いたという点で興味深い内容であった。
 一昨年に台北で見た台湾のコンテンポラリーダンスと比較をしながら見た部分もあった。台湾では舞踊教育が日本と異なるため日本人より鍛えられた踊り手達が踊ることが多い。彼らのエネルギーと比べてみると日本人の踊り手は今一歩円熟した社会に満ち足りているようにも見えるのも事実だ。
 小劇場系のコンテンポラリーダンスにはどうしてもマンネリ感があるのは否めない。かといって内田香のようなモダン=コンテンポラリーの優れた作家の作品はモダンダンスに対するステレオタイプから今一歩評価を受けても良いように感じる。日本人の肉体をアクティヴにする、覚醒するものは何なのだろうかということを強く感じた。


(planB)