森嘉子,die pratze dance festival ダンスがみたい!<新人シリーズ4

森嘉子 ゴスペルを踊る Vol.14


 肉体にひそむ深い慈しみと豊かな情景がそこにあった。第一部「愛・希望・祈り(ゴスペルメドレー)」は正統的なアメリカンモダンダンスである。ステンドグラスの光の中に踊り手たちがあらわれる。正統的なモダンダンスの構成を用いながら、しなやかな身体でみせたり、腕を広げたりと綴られる世界は戦前から戦後にかけてのアメリカンモダンダンスである。アメリカはドリス・ハンフリーや森も学んだマーサ・グラハムといった大家を輩出したがそういった作家達からの影響を色濃く感じさせる作品だ。民衆の感情に根ざした作風の持つ深みは愛すべきものである。
 第二部では楽曲にそってどこか懐かしいアメリカが描写される。「Aトレイン」では小野真由美演じる老婆に対して、群舞がシンメトリーやアンシンメトリーというスタンダードな演出、リリースやコントラクションといったアメリカンモダンダンスの正統的な技法を用いた情景を織り成す。さらに「ジョージア」(振付遠藤かよ子)で遠藤かんやが成熟した男性の肉体美を魅せたかと思えば、花輪洋治と女性たちが「サマータイム」で夏の日を描写する。男性の肉体美の見せ方もワイルドであり力強い。同じ時代をしる花輪の青年時代の姿も思い起こさせた。ことに印象的だったのは第二部「望郷」で上演された「ラッキーオールドサン」(1960)である。情感豊かな曲にそって男(遠藤かんや)に森が寄り添うように踊る。戦後のアメリカモダンダンスを想わせる実に正統的なタッチである。純真にまごころいっぱいに踊る森の姿は初演時の姿も髣髴とさせる。1960年とは安保条約反対闘争の年であり当時のアメリ文化の日本社会への強い影響を感じさせる。ついで「雨が降ってきた」では踊り手がいっせいに傘をさし、南部を想わせるアメリカの風景画描かれた。伊藤道郎や門下生の作風には1930年代のアメリカの日常的な風景や戦前のアメリカ文化が時折登場する。その洗練された戦前を感じさせる伊藤門下の作風と比べると、対照的に森の作品には戦後の豊かなアメリカの姿とより深い民衆の世界が描きこまれているように思うのだ。モダンダンスと戦後の流行だったジャズを用いてポップに洗練された作品を描く作家は多い。しかし、民謡や黒人文化といったアメリカ文化の深みまで迫った作家はそう多くはないだろう。繊細であり感情のひだを踊り描くタッチは実に心地よく日常の心の琴線をときほぐすものがあった。

 時間的問題からdie pratze dance festival ダンスがみたい!<新人シリーズ4> の審査のため第三部大変残念なことに途中退室をせざるえなかったのが悔いに残っている。

(スペース・ゼロ)

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Hグループ
● 林祐司「アル身」
● 滝本あきと「からだのからだ」
● 深見章代「compれっくす」


当企画後評にてレビュー

作品が重ならない形で別媒体でもレビューをすることを考えています。