H. ART Chaos

H.ART Chaos ファンクラブ新年会の為の「プライベート・パフォーマンス」

裸体と現代

ある知人に誘われてH.ArtChaosのファンクラブ新年会の為の「プライベート・パフォーマンスを見に行った。
今回は白河直子のソロダンスと奥山由美子とのデュエットを見ることが出来た。いずれも過去に上演をされた作品の一部分である。
銀色の床の上に宙から椅子が釣られている。半裸の白河が現れ「秘密クラブ・・・浮遊をする天使たち」(19922年初演で2000年までシリーズ物で上演)からの抜粋のソロが始まる。雄雄しい表情の白河と女性的な肉体美は両性具有(アンドロギヌス)を想わせる。白く光る肉体が両手を折り曲げかがんだかと思うと、踊り手は身体をしならせ、片腕をすっとは知らせる。指先の形一つ一つまで腕で細かく形をつくったかと思えば、白河は宙を走り出す。スピーディーに、そして熱くトーンを変えながら。裸体というのは彼女たちのこだわる表現様式だ。戦前のドイツでは裸体文化は舞踊と結びつきながらひとつの対抗文化を形作る。近年の日本社会では裸体表現は広告からポルノグラフィーまで幅の広く社会で見られる。白河の表現は広告のような印刷媒体の裸体にみられない崇高さも帯びているといえる。この作品の踊り手の動きは今では多く見られるスタイルだが、90年代の作品としては前衛的であり90年代以後の現代舞踊と比較してみるとラディカルさも背景にあるといえる。新しさは裸体表現というよりはむしろ形象美を中心としたムーブメントにあるといえるだろう。日本のポストモダン・ダンスやパフォーマンスにもその影響に基づき裸体にこだわる作家も多いが、彼らとの差異を考えてみるとすれば、「内的な衝動」を外化させるというよりは、素材としての肉体を通じて思索的に動きを形作る。内にこもりがちな若手の表現と比べてみると、外に開いているといえる。モダンダンスのような内面や自我という重心でもなく、内にこもりがちな表現とも異なる作風は80年代後半から失われた10年にいたる90年代にかけて形成された。「神々を創る機械」(2001年に初演し、2005年に2005年版を上演)の1シーンは大島と白河のデュエットだ。白河が黒いジャケットをはだけると紅い粒子が床に舞い落ちる。人の業の深さや内面の痛みを感じさせもする演出だ。奥山が脇に現れ宙に向かって祈り続ける。祈る女に白河が絡み人間の贖罪のような光景が描かれた。審美的な美意識を模索してきた彼女たちの世界観が現れている情景ともいえる。90年代から2000年までを回顧させ、同時に近未来の身体表現のベクトルについても感じさせた夜だった。

(H. ART Chaos 上馬スタジオ)