ICC、現代舞踊公演2005

NTT ICC 「アート&テクノロジーの過去と未来」

ICCは私の20代を語る上で欠かせないスペースだろう。90年代初頭、メディアアート
扱うスペースはまだ数が少なく、四谷のP3 art and environmentとNTTのメセナ事業
だったInterCommunication Centerだけだった。雑誌のほうには仲間も知人も多く
執筆していたし、ギャラリーでも先輩や知人が多く作品を展示していた。
90年代を象徴するような空間で、このスペースに就職した先輩はうらやましがられて
いた。しかしこんなに早くClosedが実質的に決まるとも思っていなかった。
失われた10年以後、情報化、ITバブルという時代の変遷の中で動いてきたこの
ジャンルを感じる。
入ってすぐに藤幡正樹による「脱着するリアリティ」の展示があった。入江経一による
装置は今回はない。床の上の点の上に立つと地点によって音の響き方が違う。さらに
藤幡の「トルソ:画像から立体へ」も展示され、実際に関係者と交流があった私としては
懐かしさを感じる。
古い作品としては実験工房の展示が定石だが置かれている。実験工房のバレエ公演には
松尾明美の振付でダンス批評家のうらわまことが出演している。同じく実験工房や草月
の作品には土方巽や厚木凡人など当時のダンスアヴァンガルドの名前が見え隠れする。
高度経済成長を迎えようとする日本社会では戦後のアヴァンガルドが華咲き、一方で
創世紀の現代舞踊家がクライマックスを迎えていくわけだが、そんな時代の背後には
大らかで未来的な万博のパフォーマンスやハプニングがあったわけである。
印象的だったのは小杉武久の「マノ・ダルマ・エレクトロニック」だ。天井から
携帯ラジオが無数にぶらさがっている。海の映像を背景にラジオは音を鳴らし続ける。
今となっては古いといえば古いのだが、作家の音楽概念に対する批評性が現れている
作品だ。
現在の作品の中では三上晴子+市川創太が「グラヴィセルズ」というアルスエレクト
ロニカで入賞した作品を展示していた。床を移動するとその重力の重さを演算して計算し
GPSのデータなどと絡めて視覚化する。現代のパフォーマンスでも使える作品だと
思う。メディアアートインターフェイスなどといった一連の概念は人間の外界と
ハイテクノロジーを通じて関係をしているのだが、そこには身体の欠如が存在する。
これが90年代以前のメディアアートと90年代以後のメディアアートの1つの境界では
ないかと感じる。前林明次「ものと音、空間と身体のための4つの作品」は区切られた
黒い空間の中を人が移動をしていく。それぞれの空間で人が出会っていく世界は
音を媒介にした人と世界の知覚である。この作品はシーンを大切にしているという
点とそれぞれ暗転するという点で舞台芸術に近いものを感じさせた。


(NTT インターコミュニケーションセンター)


現代舞踊公演2005
地主律子・碇山奈奈・Jan Durovcik(キャストA)

音楽舞踊新聞にてレビュー

新国立劇場小劇場)