Sal Vanilla 「+813」

「MINIMALMAN」(C)Pas

for the essence of Butoh and Live Art

Sal Vanilla 「+813」
Japanese review by Yukihiko YOSHIDA

「成長を感じさせた国内公演」

約2年ぶりのSal Vanillaの国内での公演では大きな成長が見えた。舞踏+メディアパフォーマンスということで活動開始当初から注目を浴びていたのがこのグループである。数年ぶりにその作品にライブで接し、その舞台からはグループの大きな成長を感じた。
「MINIMALMAN」(写真)は蹄ギガのソロ。コンクリートの空間全体に対するプロジェクションされた光のスリットや光のスリットの中で蹄が踊る。舞踏が漆黒の舞台空間の持つ詩的な効果や暗闇の中からの肉体への視線に対して成立しているとすれば、空間全体へのプロジェクションは肉体に対する観客の視線を舞台前面に広げていく様な効果を出している。大野=土方や笠井叡が肉体を通じて物自体になるなど見る側のイマジネーションも問うような表現や文字媒体によるリテラルな教養とイマジネーションを必要とする作品を上演してきたとすれば、視覚表現はいとも簡単に観念世界を描写してしまう。赤い鬘を被った蹄の像が光景いっぱいに投影されるシーンや、オリエントや近未来の幻想世界が描写されるシーンにはこれまで舞踏が演出や衣装で見せてきた表現の拡張を見ることが出来る。スリットを利用してコミカルに見せたかと思えば、ダイナミックにダンシングするという蹄の動きは明るく心地よい。電球をついた紐を手にとって振り回す場面や、スリットを使うといった空間構成は舞踏よりはトラッドなダンスやパフォーマンスのスタイルを感じる。長年のキャリアを誇る作家だけあり舞台芸術に対する深い経験を活かした作風といえるだろう。
 「人ノ像」はゴールデン鈴木やスワン皇子などシーンの先端で活躍する面々による群舞である。頭を剃ったいかつい男達が一列に舞台に座ったかと思えば独り言のように言葉を発しあう。それぞれがコンビニの名前を連想ゲームのように発したり意味不明の言葉をつぶやいたりする。やがて彼らは舞台いっぱいに広がりテクノミュージックのスリリングな感覚を活かした力強いムーブメントを見せる。やがて舞台いっぱいには光上のスリットが投射されるようになり現代的な情報空間を感じさせるシーンへと展開していく。と、視覚美術が暗転しいつもの暗い舞台空間になると、紙テープを舞台で投げあったり、ステレオの陰から客席を見つめるといった舞踏的なクリシェが現れる。作品全体に言える事だがシアターアートの文法とメディアアートの技法のバランスが良くなったことに彼らの成長を感じた。しかしその一方で例えば舞台前面に映像を投射するのではなく、半分に分ける等して空間を活かす事も重要となるのではないか。このグループの舞台芸術に於ける豊かな経験は、メディアアートの表現のエッセンスをさらに的確につかむことで大きく飛翔をするはずだ。豊かな経験を活かした作品には長年の作家のキャリアを感じたがさらなる研鑽をすることで大きな飛躍をする事が出来るだろう。
日本のメディアパフォーマンスの中でダム・タイプは演劇出身なだけあり作品に何より主張がある。しかしダンス出身の作家の多くは非文字の視覚表現に逆にとらわれてしまい、2000年前後はNestやレニバッソといったグループを見ても今一歩という印象があった。
今ではメディアパフォーマンスはどの舞台でも花盛りである。そこでモダンでもコンテンポラリーでも出来ない表現形式を見つけ出す事が重要である。テクノロジーと新しい芸術を見つけることが大きな飛躍のステップになるのではないか。


(Bank Art Studio NYKホール)

写真:(C)Pas